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蝶々夫人 あらすじ、簡単にすると?どんなオペラ?モデルはいる?

2024年は佐渡裕さんプロデュース公演や東京二期会での上演が予定されているオペラ「蝶々夫人」。

なんとなく聞いたことがあるような、ないような……という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

あらすじを簡単にするとどんな感じなのか、そもそもどんなオペラなのか、蝶々夫人のモデルとなった人はいるのかについてまとめてみました。

「蝶々夫人」は私の好きなオペラの1つであり、DVD等で公演を観たことが何度もあります。

劇場での公演はまだ観たことがないので、機会があればぜひ観に行ってみたいと思っています。

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「蝶々夫人」あらすじを簡単に紹介!

「蝶々夫人」のあらすじを簡単に紹介したいと思います。

舞台は明治時代後半の長崎。
アメリカ海軍士官のピンカートンは、没落士族の出であり芸者である蝶々さんと現地妻的に結婚します。
が、蝶々さんは本気の結婚と信じており、ピンカートンが日本を去った後も使用人のスズキと子どもと3人でピンカートンの帰りを待ち続けます。

3年後、ピンカートンはアメリカで結婚した本妻を連れて蝶々さんのところに出向きますが、蝶々さんがずっと自分を待っていたことにいたたまれなくなり、蝶々さんを顔を合わすことなく立ち去ります。

ピンカートンの本妻と対面し全てを悟った蝶々さんは、子どもを彼ら夫妻に託すことを約束し自害してしまいます。

 

現地妻ならそうとわかるようにしておけばいいものの、子どもまで作っておいたくせに最後合わせる顔がないと直接謝りもせずにトンズラですよ……。

劇中で長崎領事でありピンカートンの友人でもあるシャープレスが忠告もしたのですが一向に介さず……ピンカートンはホントにひどい奴ですよね!と私はいつも思います。

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「蝶々夫人」オペラは日本を舞台にプッチーニが作曲

そんなオペラ「蝶々夫人」ですが、イタリアの作曲家プッチーニによる作品です。

日本音楽の楽譜を調べたり、日本の習慣や宗教的儀式に関する資料を集めたりと大層な熱の入れようだったにもかかわらず初演は大不評だったようです……。

ただ、その後改稿に取り掛かり、初演の3ヶ月後には大成功を収めます。
今日上映されている決定版は実に第6版でして、一度世に出してからも改善を繰り返すプッチーニの熱意が感じられます。

主な登場人物は以下の通りです。カッコ内は担当声域です。

蝶々さん/蝶々夫人(ソプラノ):没落士族の娘であり芸者
ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン(テノール):アメリカ海軍士官
シャープレス領事(バリトン):長崎駐在領事で、ピンカートンの友人
ヤマドリ公爵(テノール):蝶々さんに結婚を申し出る裕福な紳士
ゴロー(テノール):結婚斡旋屋
ボンゾ(バス):蝶々さんのおじ・ボンゾ=坊主?
スズキ(メゾソプラノ):蝶々さんの使用人
ケイト・ピンカートン(メゾソプラノ):ピンカートンの本妻

作中には「宮さん宮さん」や「さくらさくら」、「お江戸日本橋」「君が代」といった多くの日本歌曲や、星条旗のメロディーが引用されています。

聞いたことのあるメロディーが出てくると、それだけで聞きやすさも増しますよね。

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「蝶々夫人」にモデルはいる?

蝶々夫人、日本が舞台ということもありモデルになった人物がいるのかどうか気になるところです。
調べたところ、3つほど説があるようです。

グラバー・ツル

幕末に活躍したイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーの妻、グラバー・ツルが蝶々さんのモデルであるという説が長年有力視されていました。

これは彼女が長崎の武士の出身であると誤って伝えられたことや、「蝶」の紋付を好んで着用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来しています。

また、長崎の旧グラバー邸が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、蝶々夫人の物語の設定と一致しています。

しかし、蝶々夫人の経歴とグラバー・ツルの生涯とは似ている部分もありますが、重要な部分で異なる点も多く、モデルと考えるのは不自然との意見もあります。

おカネ

アンドレ・メサジェ作曲の歌劇「お菊さん」の原作小説を書いたピエール・ロティの長崎の現地妻で、お菊さんのモデルであったおカネが蝶々夫人のモデルであるという説もあります。

プッチーニは「お菊さん」の作曲の場におり、また「お菊さん」の原作小説も読んでいたようです。

おカネは武士の家に生まれ、幼い頃から三味線などの芸事を嗜んでいましたが、実家が没落したためグラバー夫人を頼り、長崎で芸者になりました。

長崎でロティと結ばれましたが、結婚生活は1ヶ月で終わりました。
数年後、ロティは長崎を再訪して10ヶ月滞在したが、おカネには会おうとしませんでした。
そのことがショックで、おカネは家を捨て地元に戻り、生涯どうくつで暮らしたそうです。
どうくつ暮らし、なかなか壮絶な人生ですね……

特別なモデルはいない

当時の長崎には、日本に駐在する外国人の軍人や商人と婚姻し現地妻となった女性が多く存在していました。

金銭的に余裕がある高級将校などは居宅に女性と暮らしており、相手の女性も農家から長崎の外国人居留地に出稼ぎに来ており、お互いに割り切った関係であったといわれています。

夫に裏切られて自殺をした女性の記録は皆無であり、蝶々夫人に特別なモデルはおらず、創作上の人物であると考える説も有力とされています。



残念ながらプッチーニに聞いてみることはできませんので確認は取れませんが、どれもそれっぽい気もしますね。

私個人的にはおカネさん説が一番それっぽいかなという気がします。

モデルがいてもいなくても、蝶々夫人が名作オペラであることには変わりありませんので、機会があればぜひ観てみてください!

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